一宮大介さんがボルダリングとキャンプを楽しむクライミングトリップ。高難度の課題を次々と攻略するトップクライマーだが、登るだけではない、自然を丸ごと楽しむ旅が好きだという。
テントを立ててコーヒーを沸かし、ボルダリングマットの上でストレッチ。トポ(岩場のルート図を集めたガイドブック)を見ながらゆっくりと深呼吸を繰り返す。一宮大介さんのクライミングトリップは、意外なほどのんびりと始まった。
「街には街の空気があるように、岩場にもその場の空気があると思うんです。ゆっくりと深呼吸することで、いまいる自然に身体のリズムを合わせていく。そんな時間を大切にしています」
一宮さんはそう言って笑った。
2017年、一宮さんはアメリカ・コロラドで「V16」とグレーディングされるボルダリングの超高難度課題に成功した。V16の成功は日本人2人目の快挙だった。それ以降も毎年のように海外遠征を繰り返し、世界的な難ルート、名ルートを登る。「いま、日本で一番強いクライマー」、そう呼ばれることもある。それでも、登るだけではない、自然を丸ごと楽しむことが何よりも好きだという。
「自然の中で寝泊まりしてご飯を食べて、自然の岩で遊ぶ。自然と一体になる感覚が好き。特に、キャンプは欠かせない要素です」
ボルダリングはマットやシューズさえあれば、ロープなどの特殊な道具は不要で楽しめるものの、未経験者にはハードルが高いと思われがちだ。もちろん安全対策についてはきちんと学んでほしいし、情報収集も必要だとしつつ、一宮さんはこう続ける。
「低くて簡単な岩も多いから、レベルに合わせて楽しめます。それに、ボルダリングだけに傾注する必要はないんです。キャンプして、山登りや川遊びをしたっていい。自然のなかで遊ぶひとつの要素がボルダリングだと考えて、気軽にチャレンジしてほしいですね」
ボルダリングはグレードだけじゃない
テントサイトでの朝をのんびり楽しんだ後、岩場へと向かった。この日テントを張ったみずがき山自然公園キャンプ場の周辺は、ボルダリングのメッカのひとつだ。点在するエリアのなかに1,200とも言われる課題が設定されている。一宮さんがこのエリアでボルダリングするのは2度目。前回やり残した課題、そして新たに見つけ、チャレンジしたいと思った課題がいくつもあるという。
この日、一宮さんが特に登りたいと話していたのが“阿修羅”と“KUMITE”という二つの課題だった。ボルダリングの課題には“難易度”が設定されていて、日本国内ではおおむね10級~六段に分類される。阿修羅は初段、KUMITEは二段だ。一方、一宮さんがコロラドで登ったV16は段に直すと六段相当だという。それだけ聞くと、今日の目標はやや物足りなくも感じる。
「課題の良し悪しはグレードだけじゃない。かっこいい岩や美しいラインなど、見ていて登りたくなる課題があるんです」
阿修羅は、岩の真ん中にまっすぐなクラック(割れ目)が入った課題。KUMITEは高さ10mを超えるハイボールと呼ばれる岩で、120度ほどはありそうな前傾斜を超えて登っていく。どちらも、写真を見た瞬間に「これだ」と思った課題だという。日本全国に、世界中にそんな課題がある。
「幸せなことだけど、一生かけても登り終わらないのが悩みです」
「かっこいいなぁ」
まず6級と分類される課題でウォーミングアップし、阿修羅へと向かった。岩場に入る際はいつも、低難度の課題に先に触れるようにする。身体を温めるだけでなく、こんな意味もある。
「その岩場の雰囲気をつかむことができるし、呼吸やストレッチと同じように、実際に岩に触れることでその場になじんでいく。精神的にも落ち着いて、難しい課題にもチャレンジしやすくなります」
この日はウォーミングアップがうまくいった。そう話した通り、阿修羅を一撃(最初のトライ)で成功させた。同じ岩の別の面にある「インドラ」(二段)、近くの岩に引かれたライン「ヒドラ」(1級)も一撃し、離れたエリアのKUMITEへと向かった。
実際に目の当たりにしたKUMITEは驚くほど大きかった。ボルダリングの課題は普通、高くても4~5m程度。KUMITEは10mを超える。ロープを使って登ってもおかしくない高さだ。
KUMITEを登るうえで、ムーブ(身体の動き)が最も難しいのは最初の部分で、そこを超えられれば技術的には攻略できる。それでも、高さが手元を狂わせることがある。そんな課題で、しっかりとムーブを繰り出すのが快感だと一宮さんは言う。
「かっこいいなぁ」
KUMITEを見上げ、そうつぶやいた後に手順の検討を始めた。あそこから右に出て、あそこに立ちこんで……。成功までの手順をしっかりとイメージする。
よし。そうつぶやいて最初の1手に手をかけた。身体を持ち上げ、横に移動しながらオーバーハングを乗り越える。滑りやすい上部の難傾斜もゆっくりと、確実に身体を上に押し上げていく。木の根をつかみ、岩の上に立つと一宮さんは満面の笑みを見せてくれた。