超人的なパフォーマンスを見せるアスリートたちは、フィールドを離れるといったいどのような日常を送っているのでしょうか。どのような街や家に暮らしているのでしょうか。彼らのバックグラウンドから取り組むアクティビティの魅力、日々のトレーニングや地元の行きつけまで、根掘り葉掘り伺ってきました。第3弾は国際山岳ガイドとして世界の山々をフィールドに活躍する、杉坂勉(すぎさか つとむ)さん。
海外の山々をメインフィールドにする国際山岳ガイドは、昨年から続く新型コロナウイルスの煽りを正面から受けている職種の1つです。長野県・安曇野市(あづみのし)を拠点に活動する杉坂勉(すぎさか つとむ)さんも、海外に出られなくなり、働き方や生活の変化を迫られました。しかし、この1年を振り返り、「決して悪いことばかりではなかった」と言う杉坂さん、その言葉の真意とは……。そして、自分のペースでじっくりと向き合ってきた、山との調和を目指す生活とは。偶然を必然に変えてきた、杉坂さんのデイリーライフにお邪魔します。
【Profile】
名前:杉坂勉 Tsutomu Sugisaka
年齢:53歳
居住地:長野県安曇野市
出身地:神奈川県横須賀市
職業:日本山岳ガイド協会認定国際山岳ガイド
家族構成:妻との2人暮らし
愛車:スバル/レガシィ アウトバック
年間山行日数:約150日
趣味:庭で焚き火
主な登山歴:パキスタン ウルタルⅡ峰(長谷川恒男U-TANクラブカラコルム登山隊)、デナリ(マッキンリー)ウェストバットレス、ウェストリブ
憧れの山岳ガイドまでの道のり
──例年であれば、今頃は海外でガイドをしている時期ではないですか。
毎年、春は出発ギリギリまで日本のアルパインエリアでスキーを楽しんで、6月末〜9月頭までヨーロッパにいます。去年もヨーロッパには行けなかったのですが、その分ひさびさに日本の夏を体感できて、やっぱり日本もいいなと思いました。
──ご自身のガイディングの特徴は、どのような部分でしょうか。
僕はマンツーマンガイドが基本。ゲストにあったルート、山を選んでサービスを提供する“オーダーメイドのガイディング”です。せっかく山に来て、苦しいだけで終わってしまったら楽しくないですよね。ああ、来てよかったな、楽しかったなと思っていただきたい。こんなご時世ですから、山に来ている間くらいは日常から解き放たれて、山を満喫してもらえるよう心がけています。
――どのようなリクエストが多いですか。
バリエーション登山が一番多い。あとはクライミングとスキー。スキーに関しては、外国人のお客さんがほとんどです。
──お客さんはリピーターが中心でしょうか?
国内のガイディングに関しては、もう9割9分リピーターです。新しいお客さんは、年に数人増えるかどうか。僕の仕事のペースで言うと、それくらいがちょうどいい。
──ガイドになろうと思ったきっかけを教えてください。
昔はなにか手に職をつけたいという漠然とした思いがあっただけで、じつはガイドになりたかったわけではないんですよ。学生時代にたまたま山に出会い、わりと早いうちからプロのガイドさんとの繋がりができ、その方々の人となりや仕事振りを見るうちに、自然とガイドになりたいと思い始めました。
──ガイド資格を取ったのは、かなり遅かったと伺いました。
33歳の時でした。20代の頃って、基礎体力はあったけれど山には強くなかった。要領は悪いし、すぐにバテる。ガイドは憧れの職業でしたが、自分自身に自信が持てず、「こんな俺がガイドになっちゃっていいのだろうか……」と考えてしまい、踏み出せなかったんです。
──なにか踏ん切りがつくきっかけがあったのですか。
しばらくは山小屋で働いたり、ガイドのお手伝いを続けていました。そんなある日、現在僕が所属しているジャパン・アルパイン・ガイド組合の代表、鈴木 昇己(すずき しょうみ)さんに新大久保の駅で偶然お会いしたんです。改札を出ようとしたんだけど、急にトイレに行きたくなってそこでばったり。鈴木さんが新しいガイド協会をちょうど立ち上げるタイミングだったので、のちに声をかけてもらい、あれよこれよと。あの時トイレに行かなければ、今はなかった。いいご縁だったと思います。
──そこから、なぜ海外でのガイディングも手がけるまでになったのでしょう?
周りの先輩方はみんな国際山岳ガイドだったので、ゆくゆくは海外でもガイドするのが当たり前だと思い込んでいました。当時の国内のガイド資格は、今ほどイチから試験を受けてというより、実務経験を積むとある程度自動的にライセンスがもらえたんです。僕もそうしてライセンスをもらい、イマイチ納得していない部分があったのですが、国際山岳ガイド資格の取得には当然試験が必要だった。資格が欲しかったのもあるけれど、試験に受かりたかった。なにかの形で、認めてもらいたかったんですね。
大切なのは、自然のサインを見逃さないこと
──海外に出て、日本のガイディングとの違いは感じますか。
スピードです。とにかく、登り始めてから下山までが早い。行動だけでなく、判断も含めて全てが早い。
──ガイドにとって大事な要素や能力とは?
自然環境やお客さんの状態に対する“気づき”です。特に冬の雪山なんて、刻一刻と状況が変化していく。その変化の中に、自然はサインを出してくれているはずなんです。それに気がつけないと、遭難や雪崩に遭ってしまう。これからの季節は、たとえば雷。寒冷前線が通過するという予報が頭に入っていれば、風が冷たくなってきた、空気が冷えてきたら「雷がくるかも」と危険を感じとれるはずなんです。
──お客さんについては、どのような部分を見ていますか。
歩き方はもちろん、ちゃんと朝ご飯は食べられているかとか。身支度の段取りや、装備の付け方にもサインが出ます。ストラップの処理をきちんとしているか、それとも適当にしているかだけでも、その方の性格や疲労度、集中力がわかる。でも僕は結構ズボラなんで、あとから気がつくことも多いんですけど。
──些細なことで大事なことがわかるんですね。
パッと全体を広く見て「なんだか不自然だな」と感じとることもあります。お客さんも、山も。そう感じた時に流してしまわずに、何が不自然なのか考えられることが大切。僕もいろいろな失敗をしていますが、そういう時って、やはり流してしまっていることが多いんです。
「自分と山との間にいかに調和を見出すか」
──山における大切なことは、どのように学んできましたか。
僕は山を始めた頃から、松井 登さんと長谷川 恒男さんという、ものすごくいい見本が2人も近くにいました。当時、僕はお客さんではなく、ガイドのお手伝いをさせていただいていたので、とにかく2人を隅々観察しました。なぜそこに足を置くのか、ピッケルをどう持っているのか、仕草から何から一挙手一投足、見て盗もうとしました。真似をしているうち、何年も後になって「あれはこういう意味があったのか」なんて気がつくこともあります。
──それぞれから学んだことで、今も生きていることはありますか。
松井さんには、山の楽しみ方を伝えてもらった。「山って遊びだけど、お遊びになってはダメだ」って、よく言われました。遊びだからこそ真剣にやる、っていうのはすごく大事ですね。
──ちなみに、長谷川さんからはいかがでしょうか。
長谷川さんからは、“調和”というキーワード。1991年のパキスタンの遠征出発前の壮行会で、長谷川さんが「今回の遠征のテーマは調和です」って話をされていたんです。当時は全然ピンとこなかったのですが、その言葉が後々すごく響いてきた。今、僕が山に入って何を大切にしたいかというと、“自分と山との間にいかに調和を見出すか”。そこが、今の自分の課題になっています。
──1人で登る方が山との調和は見出しやすい?
過去には、パートナーと一緒に登ると120%の力が引き出されるような経験もしました。仲間と行くいい部分もありますが、その間には必ず人間関係もあるので、ダイレクトに自分対山が1対1ではなくなります。今は山との調和を大事にしたいので、1人で登ります。びっくりすることに、“調和”の話を聞いたのは30年も前。長谷川さんが亡くなった年齢を僕はとうに上回ってしまいましたが、今も響く強烈な言葉ですね。
──1人で登るときは、どのようなスタイルが多いのですか。
トレランとまではいかないけれど、近所の常念岳(じょうねんだけ)などでスピード感のある山登りにトライしています。はじめは速さばかり求めていたのですが、それじゃ体を壊すんですよ。それって不調和じゃないですか。根本のテーマを逸脱しては意味がないので、自分の体とペースに合うやり方を探しています。1つ自分に決めているのが、水分補給はしつつ動き出したら休憩はしないこと。山頂まで休憩をしなくても登れるスピードで行く。ジョギングをする方ってランナーズハイになるっていうじゃないですか。その感覚を山でも感じてみたい。
──体のケアは何かされていますか。
まず、自分のキャパをしっかり見極めて、体力の限界ラインを超えないことですね。ヘルニアをやってから、特に体の冷えって良くないなと気がつきました。うちの周りは温泉がたくさんあるので、体の芯を温めるために毎日温泉に行って、帰ってきて30分ほどストレッチをしています。
──年を重ねて道具の選び方も変化はありますか。
これは変わらないです。僕は機能性も大事にしますが、自分の体に合っているかどうかを一番重視して選んでいます。いろいろ試してしっくりきたのが、マウンテンハードウェアでした。僕はアジアンフィットは合わなくて、海外規格のラインはぴったりくる。ガイドを始めた頃から愛用し続けているので、もう15年くらいは着続けています。