コロンビアにゆかりのある若きアスリート、上田瑠偉さんと伊藤伴さん。上田さんはスカイランニングの世界ナンバーワンを決める大会、Skyrunner World Series2019の年間王者、伊藤さんは2016年当時のエベレスト日本人最年少登頂と若くして頂点に上り詰めた2人に、それぞれの挑戦のなかで学んだことや気付きについて語っていただきました。
激しい垂直移動を求められるスカイランニングの世界ナンバーワンを決めるSkyrunner World Series2019の年間王者・上田瑠偉さんと、2016年に当時のエベレスト日本人最年少登頂記録を更新した伊藤伴さん。今なお20代の二人がすべてをなげうってまで世界の山々に挑み続ける真意をたずねた。
また走れるよろこびに生きている実感を覚えるタイプ
──まず、それぞれ世界を意識した最初のポイントを教えてください。
上田氏:いくつもの分岐点を経てきましたけれど、海外レースに出る自信がついたのは、21歳で出場した2014年の日本山岳耐久レース“ハセツネカップ”の最年少優勝です。
──このときは大会記録を大幅に更新したそうですね。
上田氏:それまでより約18分早い、7時間1分13秒で完走しました。6時間台というタイムが見えたのが大きいです。
──それ以前の結果もずば抜けていますね。2013年の三原・白竜湖トレイルランレースは、トレラン初挑戦にもかかわらず大会新記録で優勝しています。翌年優勝する日本山岳耐久レースは初参戦で6位でした。
上田氏:先ほどいくつもの分岐点を経たと言いましたが、最初からトレイルランニングをやっていたわけではないんです。大学で陸上競技同好会に在籍していた19歳で出場した“東京柴又100K”というウルトラマラソンで5位になり、コロンビアからスカウトしてもらいました。その際にトレランを勧められました。
──佐久長聖高校では駅伝部でしたね。
上田氏:長距離を走る下地は駅伝部で培ったものがあったと思います。しかし高校時代はオーバーワークによる怪我の連続で、ついに中学時代の記録を抜けないまま終わりました。それでも怪我から回復してまた走れるよろこびに生きている実感を覚えるタイプだったので、大学では楽しく走ることだけを考えて、同好会に入りました。
──仮定の話をしますが、もし高校時代に怪我をしなかったら?
上田氏:大学で“箱根駅伝”を目指したでしょうね。今の自分になれたのは怪我のおかげかもしれません。
──伊藤さんが世界を意識したのは何歳でしたか?
伊藤氏:記録の面で言うと、小学5年生です。
上田氏:そんなに早く?
伊藤氏:登山は小学4年生の富士山が最初でした。その頃の担任の先生が休みになると海外まで登山に出掛けるほどの山好きで、道徳の時間も山の話ばかり。それで山に興味が沸きました。しかもその女性の先生が、やがてエベレストまで連れて行ってくれる僕の師匠である国際山岳ガイド、近藤謙司さんのお客さんだったんです。
──不思議な縁ですね。
伊藤氏:そうして高尾山などを登るうち、小学5年生の時、あることに気付いたんです。登山家の野口健さんが持っている七大陸世界最高峰の最年少登頂記録。最初のモンブランは16歳で登っていて、僕がその記録を破るために15歳で挑むなら、あと4年しかないと。そんな逆算をして様々な準備を始めました。野口さんのブログに「あなたの記録を破ります」と書き込んだりもして。今思えば無茶苦茶ですよね(笑)。
上田氏:挑戦状を叩きつけたんだ。モンブランは登ったんでしょ?
伊藤氏:計画通りに中3で。でも、ヨーロッパの山歩きは早いほうが安全と考えるスタイルで、それが15歳の自分にはしんどかった。4,809mという標高も初めてだったので、苦しかったこと以外あまり覚えていません。ただやっぱり達成感はありました。同時に、野口さんの記録を抜くよりも、ネームバリューに関係なく自分が登りたい山に登ろうと考えが変わりました。
──次の海外登山は高校3年生でしたね。
伊藤氏:はい。エベレストの手前にある6,119mの“ロブチェ・イースト”です。この山は、皆エベレストの練習で登るんですね。モンブランより標高を上げたい意欲もあったし、近藤さんが行くというので僕もついていったんですが、他の人たちはそのままエベレストを登るのに、エベレストを目の前にして自分だけ帰るのが本当に悔しかった。それと、エベレストの日本人最年少登頂記録が20歳だったことも知っていたので、そこでまた19歳で登るための逆算が始まりました。
初のエベレストで生まれて初めて山が怖いと思った
──上田さんは2019年にSkyrunner World Seriesで年間王者になります。伊藤さんは2016年にエベレストの日本人最年少登頂記録を塗り替えます。その結果を得るまでに直面した困難について聞かせてください。
上田氏:シーズンを通してSkyrunner World Seriesに挑戦した最初の2018年は、実は途中でシリーズを棒に振る大怪我をしてしまいました。そのとき、なぜかホッとした自分がいたんです。本格的な海外転戦は予想以上にメンタルを疲弊させていたんでしょうね。そして、まだ世界で戦う心持ちができていないことを悟りました。
──翌年にリベンジが果たせたのはなぜですか?
上田氏:アスリートの自分は結果を出すことが生きる術です。しかし、それだけが目標というのは違うんじゃないかと翌年は考え直して、シーズンを通したライバルとの戦いや、素晴らしい景色の中を走るというトレイルランニングの魅力の原点に立ち返ってみたんです。トレイルを“楽しむこと”。僕はそこに意識を集中させたほうが結果に結びつくタイプでした。高校生のときは結果にこだわり過ぎて失敗したんでしょうね。2019年は、自分の挑み方がよくわかった年になりました。
伊藤氏:僕は19歳でエベレストに向かったとき、生まれて初めて山が怖いと思いました。
──最初の挑戦は、2015年4月のネパール地震で中断を余儀なくされたんでしたね。
伊藤氏:ええ。雪崩でベースキャンプが流され、亡くなられる方も大勢いらっしゃいました。もはや登山どころではなく、人が倒れているから元気なヤツは来いとレスキューに追われて。町に戻ったらもっと悲惨な状況が待っていて、日本に帰ってからもしばらく山から離れていました。すぐに登山のための膨大な費用をまかなう方法も思いつきませんでしたし。ところが、本来なら1回限りのエベレスト入山料の期限が今回だけ延長されるなど、夏過ぎあたりから翌年また行けそうな気配が漂ってきたんです。それと師匠の近藤さんも55歳で、この先を考えるとラストチャンスだと思って、翌年の春にもう一度エベレストに行くための準備を始めました。
上田氏:どんな準備を?
伊藤氏:まずは、何があっても1日10㎞走る課題を自分に与えました。それからどんなに眠くてもお腹が空いても18時間歩き続けるとか、目をつぶってもロープワークをミスしない練習とか。それは技術や運動能力の向上だけでなく、人間的な強さを高めるのも目的でした。
上田氏:それでやっと登ったエベレストの日本人最年少登頂記録を4日後に更新されちゃうんでしょ。ニュースで見ました。
伊藤氏:あのエベレスト登頂もかなり疲れていたんですが、すぐ隣に縦走できる世界第4位の高さである“ローツェ”という山があるのでそのまま向かったんですね。その間に記録を抜かれました。元から更新できると思ってなかったので、僕はあまり気にならなかったです。
共通する使命は、それぞれの仕事の知名度を高めること
上田氏:エベレストに登頂したあと、目標を失わなかった?
伊藤氏:自分に自信がついたおかげで、改めて“山岳ガイド”になりたいという思いが強くなったんです。近藤さんがそうですが、山岳ガイドというのは自分の力量の50%で登れる山じゃないと案内できないんです。僕もその技術と経験が欲しくなりました。
上田氏:ヨーロッパでの山岳ガイドの知名度は高いよね。
伊藤氏:子どもが憧れますからね。ヨーロッパでは国家資格が必要な職業ですし。何しろ国際山岳ガイドの近藤さんを見て育ちましたから、僕自身が優れたガイドになり、この日本でガイドの存在を広めたいと、そう思うようになりました。
──それが伊藤さんの今後の目標ですか?
伊藤氏:そうですね。“山の日”のアンバサダーもさせていただいているので、様々なアウトドア・アクティビティを楽しむ人が増えるためのお手伝いもしていきますが、個人的にはこれまでより一つの上の冒険をしたい人の技術やメンタルをサポートする仕事を続けていきたいです。
──上田さんは将来をどう考えていますか?
上田氏:伴君と同じく、トレイルランニングやスカイランニングの国内普及とともに、後輩の育成に努めていくのが僕の使命だと思っています。自分のコネクションを使って、若い選手をもっと海外に連れ出したいですね。それから環境問題。地球温暖化の影響でシャモニー=モン=ブランの氷河が崩れるのを知ると心が痛みます。
伊藤氏:フィールドに出ると自然の変化を強く感じますよね。
上田氏:日本では豪雨による被害が多くなり、僕らが使う山道も消えていく。それをいかに絶やさず将来に残していくか、今はアスリート業に専念しなければいけない時期ですが、今後は環境問題に対する活動にも率先して取り組んでいきたいと思っています。
──お互い山をフィールドにしているので、近いうちにそれぞれの得意分野に挑戦するのはいかかですか?
伊藤氏:僕、トレランやってみたいんですよ。走れますかね?
上田氏:できるでしょ。実はすっごく速いんじゃないかな。
伊藤氏:装備とかわからないので、今度教えてくれますか?
上田氏:もちろん。ただ、登山よりうんと装備が少ないから不安になっちゃうかもしれないね。
【コラム】
世界の頂点に立った二人の思い出のコロンビアのアイテム
<上田さん>
『Rogue F.K.T.Ⅱ』
2019年のSkyrunner World Series最終戦で優勝して、年間王者を決めたときに身につけていたユニフォームとシューズです。本番用シューズはいつもグリップ力が高いほぼ新品のモノを履くのですが、このときは履き潰したものが不思議とフィット感が良くて、過去に使ったほうを選びました。『Rogue F.K.T.Ⅱ』はトレラン人口が多いアメリカでもっとも信頼されているシューズです。その理由は、“どんな人の足にも合う設計が施されている”から。僕が初めて履いたときも、それまでのランニングシューズより重かったにも関わらず、フィット感の良さに驚きました。
<伊藤さん>
『ビショップスフォールズジャケット』
2015年と2016年のエベレストで着ました。最大の特長は、圧倒的な“柔軟性の高さ”。動きやすさは極限状態での登山で本当に大事な機能になります。『コロンビア』は、タウンユースから本格登山まで幅広いレンジの商品を展開していますが、エベレストを始めとしたタフなシーンでの使用フィードバックが活かされていて、素晴らしいなと思います。
Text:田村 十七男
Photos: 大石 隼土