中部山岳国立公園内であり、北アルプスの南端・乗鞍岳の裾野に広がる乗鞍高原(のりくらこうげん)は、標高1,500mに位置し、登山やウィンタースポーツの拠点でありながら暮らしが営まれてきた場所だ。そんな乗鞍高原に魅せられ、この地に住みながらアウトドアライフを満喫している人々にフィーチャー。第2回は、2022年夏に営業を再開した山小屋「冷泉小屋」代表の村田淳一さんに、山小屋オーナーを引き受けた経緯、日々の仕事や暮らしについて伺った。
都内の映像プロデューサーが山小屋オーナーになるまで
2022年7月1日、16年間休業していた山小屋が、ふたたび営業を開始した。乗鞍高原から乗鞍岳を目指す山岳ルート、乗鞍エコーライン上に建つ冷泉小屋だ。冷泉小屋の創業は1931年(昭和6年)。乗鞍高原を見渡す標高約2,100mにあり、道路を挟んだ向かい側に、名前の由来でもある冷泉が絶え間なく湧き出ている。
この山小屋を引き継ぎ、リノベーションをして再生させたのが、都内の映像制作会社に勤める村田淳一さんだ。村田さんは、アウトドア冒険チーム「サラリーマン転覆隊」に所属し、テレビCMのプロデューサーとしてキャリアを積み重ねる一方で、カヌーをはじめさまざまなアウトドアに親しんできた。15年前に両親が安曇野市へ移住したのをきっかけに、登山を本格的にスタート。「いつか山の仕事をしたい」と思うようになっていたところ、縁があって登山系アプリの映像制作をする機会を得たという。
「そのアプリの企業の社長と『若い人々を登山に巻き込むために、山小屋のアップデートが必要では』という話になり、共同で新しい山小屋を作るプロジェクトを立ち上げました。世襲制でなくとも経営を引き継げる山小屋があるかを調べてみて、最初に候補に挙がってきたのが冷泉小屋だったんです。結局、その共同プロジェクト自体はなくなってしまいました。ですが、その後も引き続き連絡を取っていた前オーナーから『冷泉小屋をなんとか再開したいので、村田さんやってくれないか』と。その方の熱意に心動かされたのと、山小屋の仕事に興味が湧いていたので、引き受けることにしました」
会社員として働きながら、16年間眠っていた山小屋をリノベーションして再稼働させるという大きなプロジェクトを遂行することは、簡単なことではない。山小屋再生の実現には、広告関連の仕事に携わっている妻の実樹さんはもちろん、オープン前に実施したクラウドファンディングなどで繋がった仲間の存在が大きかったそうだ。
「昨年8月末にダイニングフロアだけオープン予定だったんですが、夏の大雨の影響などで工事が滞り断念しました。今年に入り、雪解けを待って工事を再開。クラウドファンディングで繋がった20人もの仲間と客室の壁を塗ったり、全国床張り協会からも20人ほど来てもらってワークショップ的に床張りを行ったりなど、みなさんの力を借りながら6月ギリギリまで工事をして、やっとオープンできたんです。本当に、人に恵まれていました」
山小屋再開とともに始まった東京・松本・乗鞍の三拠点生活
冷泉小屋の営業は、7~10月の週末の金曜・土曜・日曜のみ(※)。村田さんは、月曜から木曜までは東京の自宅を拠点に映像プロデューサーとして働き、金曜から日曜までは松本市内に構えている自宅を拠点に、乗鞍岳の山小屋運営を行っている。つまり、東京・松本・乗鞍を行き来するという、傍から見ると超多忙な三拠点生活を送っているのだ。
※2023年は5月後半に営業開始予定
「僕にとって、移動は苦ではないんですよね。それに、山小屋での時間は休日という感覚です。仕事もリモートで結構できるようになっているので、山小屋を始める前と仕事量もさほど変わってません。同僚には『今日は山と東京、どっちにいるの?』なんて言われるくらい(笑)。将来的には東京での生活を縮小して、松本をベースにしたいと思っています。松本は規模感もいいし、人もいいし、食もいい。先週末も、こちらに来て知り合った松本の飲食店の方が、山仲間を連れて泊まりに来てくれたんですよ」
登山を趣味としている村田さんだが、冷泉小屋に関わるまで乗鞍岳に登ったことがなかったという。
「ここに来る前、乗鞍岳は縦走できないし中途半端な山だと思っていたけど、来てみたらすごい山だと驚きました。独立峰なので、山頂では360度景色が見えます。小屋から1時間登るだけで3,000mの景色を見られる場所は、なかなかないですよね。とくに頂上手前の尾根から眺める権現池の景色がすばらしくて、気に入っています」
山小屋経営に携わって初めて、乗鞍岳や乗鞍高原の魅力に気づくことができたという村田さん。この地域の魅力をより多くの人に届けるためには、「観光客を点ではなく、面で受け入れられる環境を作っていくことが大事では」と語る。
「さまざまな移住者が地元の方々との関係性を築き、新しい乗鞍高原に対する気運が上がり始めたタイミングだったので、僕も気持ちよく入ってくることができました。ただ資源はたくさんあるのに、お金が取れる仕組みになっていないのはもったいないと感じています。今後の再開発に期待したいですね」
“後ろめたくない”エネルギー利用を目指す実験の場
「山小屋はよく利用するし好きなんですけど、結構ストイックじゃないですか。20時くらいになったら消灯になって、ワイワイしていたら怒られる、みたいな。でも僕は、すきやきの道具を持ち込んで仲間と宴を楽しむ、そんな時間が好き。冷泉小屋には、その楽しみを延長できるようなサービスを取り入れています」
冷泉小屋の特徴のひとつは、「登る人も登らない人も楽しめる場所」をコンセプトに据えていることだろう。消灯時間は設けず、夕方以降はバルのように充実したドリンクやフードを提供している。滞在すれば、静寂に包まれた山の上での非日常的な時間を、心ゆくまで味わえるはずだ。
もうひとつ大きな特徴が、山小屋のエネルギー利用にある。冷泉小屋は現在、発電機ではなく大型のポータブルバッテリーを使用。各客室に備え付けの照明やコンセントはなく、宿泊客はチェックイン時に、照明と小型のポータブルバッテリーを手渡される。今はまだ、ポータブルバッテリーの給電を麓で行っている状況だが、将来的には山小屋周辺で生み出す自然エネルギーで、電力のすべてを賄うことを目指しているという。
「今後は、ゼロカーボンのほうへ向かってやっていくべきだと思っています。小屋の目の前に流れる冷泉は雨の影響を受けないので、どんなに降っても濁らないし量の増減もない。たとえばこれを使って、小水力発電ができないかなと。ウェブサイトでもエネルギー利用について発信しているのですが、そうするとエネルギー関係に興味がある人から連絡が来るんです。こうした実験をしたい人が冷泉小屋に集まって、過疎地などほかの場所に転用できる技術を実験できたらおもしろいんじゃないかな。だから、冷泉小屋のインフラは完成しないほうがいいのかもしれません(笑)。完成してしまうと、技術も止まってしまいますから。泊まる人もぼくらも、少しでも後ろめたくない感じにしていくのが最終的な目標です」
PROFILE
村田 淳一(むらた じゅんいち)
東京都出身。株式会社REISEN 代表取締役。映像制作会社AOI.Proに勤め、CMを中心に映像制作や事業開発を行う。2021年に冷泉小屋オーナーに就任し、2022年7月にオープン。登山・キャンプ・カヌーと幅広くアウトドアを楽しんでいる。
HP:https://reisenhutte.mystrikingly.com/
Twitter:@NORIKURA_Reisen
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