山の天気は変わりやすく、時に牙をむきます。天気の悪化による「気象遭難」のリスクを軽減するのが、山の天気を専門に予報する気象会社「ヤマテン」です。ヤマテンは2011年に長野県・茅野市で創業し、国内330山のみならずエベレストやマナスル、キリマンジャロといった名峰の天気を予報しています。そんな同社の代表取締役を務めるのが、山岳気象予報士の猪熊隆之さん。猪熊さんはこれまで大きなケガや病気を繰り返しては、山に救われてきたと言います。苦難をどのように乗り越えてきたのか。今回は、2024年春のエベレスト登頂ツアーで天気予報をする猪熊さんに同行する中で聞いた、山あり谷ありのストーリーを紹介します。
経験を重ねることで変わる山の魅力
──エベレストの魅力についてお聞かせください。
今回は現地で、自分で予報したいという思いからチャレンジすることにしました。エベレスト(標高8,848.86m)は世界で一番高い山。一番高いところから感じ取れる空気感や、そこから見える景色(雲)に興味がありました。21年前にエベレストの「西陵ルート」で登頂にチャレンジしましたが、残念ながら頂上にまで至ることができなかった。「やり残した宿題」という気持ちもあったので私にとって特別な山なんです。
エベレストに続いている「エベレスト街道」も魅力的です。道を進んでいくと、「タムセルク」、「アマダブラム」、「エベレスト」、「ローツェ」といった名だたる山が次々に現れるので何度訪れてもその景色に圧倒されます。谷間をカーブするごとに目の前の風景がガラッと変わってきますし、植生も変わってくる。道中には集落があり、現地で生活を営む人々が普段から使っている道であることも頷けます。文化的な側面も直に感じることができます。
──そもそも、山に興味を持ったのはいつごろだったんでしょうか。
幼少時代から山を眺めるのは好きでしたが、厳しい自然環境で育ったこともあり「山登り」が趣味や娯楽の対象にはなりませんでした。
きっかけとなったのは、大学へ進学した時です。高校時代は何をやってもダメで、後悔ばかりの3年間だったんです。自分なりに「このままでは全然ダメな大人になってしまう」という危機感を覚えたので、大学では精神的にも肉体的にも鍛えられると思って山岳部に入部しました。
最初はただただキツいだけだったのですが、だんだん山の魅力に惹かれていき、気がつくと山登りが好きになっていました。
──猪熊さんにとって、山の魅力とは?
山の魅力は年齢と経験を重ねるごとに変わってきました。登山を始めたばかりのころは本当にダメな自分を少しでもまともにしてくれるもの。キツいと感じることばかりでしたが、3週間の夏合宿を乗り越えて山から降りてくると、「あー、なんか自分がんばったな」とか、「めちゃくちゃ臭くなった自分がお風呂に入ってすっきりした」とか、「ご飯がいつも以上に美味しく感じられる」とか、そういったことが魅力でした。
登山を続けていくうちに魅力が深まりました。景色の美しさを一層感じられるようになったり、一時期ハマったアルパインクライミングではアドレナリンが出るのを実感できる。経験値と技術力が上がるにつれて、登攀(とうはん:険しい山ををよじ登ること)を長く続けられるようになり、ハイな状態が続くこともあります。
最近ではお客さんや各地域に住んでいる人と一緒に登るのが楽しいです。天気のことを私が語ったり、あるいは私の知らないことを地元の人が教えてくれたりする。山を通じた触れ合いが今はとても楽しいです。